日記とは
【日記】とは
日々の出来事やその事象に対して感じた事などを書き記す事。
(私の脳内辞書より引用)
本当に日記とはのレベルの頻度だ
何せ私は常に思考が張り巡らされていてそれでいて出口の見えないもしくは出口は見えているが踏み出すあと数百歩の勇気が出ない。そういうものだ。
今、全9ページの小話を描いていたところだ。
結局まだあと1ページ残っている。
でももうさすがに12時間以上起きて描いているので寝た方がいいし脳みそがブチ壊れそうだ。
日をまたぐのは大嫌いだ。
絵は思いついた時に描かなきゃいけない。
そういう焦燥感からいつも十何時間も突っ伏して描いている。
これは「早く見てほしい」とかじゃなく、ただ生き急いでるだけ
早く描かなきゃ。なぜか分からないけど日をまたいではいけないような気がしてならないから。
いつ死ぬか分からないからとか、そんな痛々しいものではない。
ただ単に自分が許せないだけだ。
許せないというのも正直違う気もするし
液タブにしてからというもの、筆圧感知等の違いで間違いなく「字」を描く方が楽しい。
絵なんて場面なんてそっちのけ。
正直どんな風に描こうともこれ以上上達は進めない。
自分の技量には限度がある。
抜群に飲み込んで活かせるヤマを何度か越えたらその後はちょびっとづつしか伸びない。
自分の持てる技量をカンストした状態で学んだって
「学校行ってたくせに自分の中に取り込めなかったただのちょっと分かる奴」にしかならない。
何事も活かせない奴に限って「努力」「天才」などという僻みを言い出す。
そんな人間にはなりたくない。
たった今ヤケたばこヤケ薬をしている。
なぜか。
姉が母親の部屋へ行ったからだ。
姉は何か嫌な事があるとすぐ自室に無言で行く。
私と二人きり、ゲーム音が嫌だからだと思うと腹が立つ、いや、悲しみを隠そうとするために苛立ちが来る。
自分はどうして素直に悲しいと思った事を悲しいと感じ取ろうとしないんだろう。やめていただきたい。
ロクシタンのシアバターをリッポクリームとして愛用している。愛用と言ってもリピート2回目だけど。
こういう缶のタイプは最後に必ず真ん中が潰れ、周りだけが残る。それが私は人間の性質が垣間見えて嫌なので周りを積極的に使っていた。そうしたら見事に前方後円墳から前方後を抜いた円墳になった。
東京ドームマイナス100倍規模。
マイナス100倍ってあるのかな。
小学生の頃から学が無いので分からない。
中学英語も完璧にして単語熟語全部覚えて卒業したはずなのに今や誰よりも出来ない。
willって何。未来系going toの使い方も全く分からない。
果たしてこんな事があって良いのだろうか。
分かりません。私には何も分かりません。
化粧品のレビューは興味が無い。
多分化粧品オタクなだけっていうのが一番デカい。
でもレビュー見たところでその人と自分の肌は違うし、広告なんてモデルでなおかつ加工もできるんだから以ての外だ。参考になんてしない。
安くても自分の肌に合えば良いし、何より化粧品なんて全部自分のためなんだから自分の好きに買えばいいのにと思う。
PCとかもうるせえなって思う。
なーにがブルベイエベじゃ。
でも、インスタグラマーが「みんなパーソナルカラーとか気にしてるけど自分の好きなようにすればいいよ…」とあたかも諭してるかのように言っていたけど正直それは腹が立った。
PCは基準だ。
なぜならパーソナルカラーが無かった時代は実際みんなダサかったし化粧の色だって流行りばかりにこだわって似合わない人がたくさんいた。
だから必要だとは思ってる。
それにしてもうるさすぎるけどね。
最近部屋掃除をしていて、セルネグ中級者なので10年以上前の食いかけの菓子とか掘り起こした。もうこれ売れるんじゃないか。SRぐらいのレアリティでしょうが。
そんな事よりもWiiUが出てこなかった。
当時なぜWiiUを買ったかというとただスプラトゥーンがやりたかった。それだけだった。それだけで合計4万近くした。
スプラトゥーンとWiiU取扱説明書は出てきたが肝心のWiiU本体が出てこなかった。
なんで?なんであんなデケエの失くすん?どういう事?
こんなんあんまりだよ。
私は「おやすみ」という言葉が大っ嫌いだ。
「おやすみ」はみんなが私の事を忘れて自分の時間に徹する事。
昔姉が母親にイライラして機嫌が悪くなりドアの音をわざとらしく立てながら自室に帰っていくというのが日常茶飯事だった。
それから「おやすみ」が嫌になった。悲しくなった。寂しくなった。
だから私は本当に一人の方が向いているみたいだ。
ダイエット中で唇が荒れに荒れ、ただひたすらに痛い。
スキンケア中も唇だけじゃなく口周りが染みて痛い。
もう肌は既に汚いからどうでもいいけど頼むから唇が痛いのだけはやめてくれ。頼む。