情けは人の為ならず一日にしてならず

私は、「あなたはあなたなんだよ」という言葉が、嫌いだ。

私は自分が嫌いで、外を歩く時も“今やりたいと思った事”と真逆の事をしたり、“本来の自分なら嫌がる行動”を積極的に無視して問答無用でそれをしたりして“自分”を意識しないように行動している。

例えば電車の中での音ゲーや脚を組んだり、なんて“自分”からしたらマナー違反ルール違反のみっともない人間だ。

しかしそんな事はどうでもいい。

私は音ゲーだってするし脚だって組む。

健常者はこんな風なのだろうかと心配になるが、そんな考えも結局は“自分”だ。

いらない。

だから見捨てる。

だが慰められる時

「あなたはあなたにしかなれないんだよ」

と言われる。

深い深い奈落の絶望を感じる。

“私”って何を思っても結局全部”私“にしかならないんだ。


苦痛。

苦痛、苦痛。


全部どうでもいい。

そう思おう。

そう思うと”自分“は消え、他人になれる気がするからだ。


友人や誰か他人と会うと嫌と言うほど”自分“が出てくる。

会話をすると”いつもの私“に嫌でもならなきゃいけない。

いや、自然とそうなっているから、自業自得なのだけれど。

笑う。喋る。身振り手振りをする。歩く。周囲を見回す。

そして気付かされる。

「今ここに立っているのは紛れもない劣等感の塊の”自分“」。

周りの目を気にする自分。

隣にいる人間との差を感じる自分。

結局私にしかなれない自分。

全てが呼び戻される。


そうして誰かと会った後、向こう数日間は気丈に振る舞う今の”他人として生きる自分“ではなく“何に関してもテンパる自分”が出てきて、上手く話せなくなったり、話が飛んだり上手く言葉が紡げなかったり。


正直もううんざりだ。


もう自分なんて本当にいらない。消えればいいのに。

そう願いながら毎日を過ごしている。




先日、友人が連れて行ってくれた魔法使いの約束のポップアップショップで、まあこのグループ?いいじゃーん!って言ったら「ほとんど関わり無い」などと雷を落とされた。

だってどう見てもこの一枚絵ではBLじゃん、だってエスコートしてるよ?こっちの二人!と言いたくなる絵。

そして思った。

「こういうのにハマれるのってすごく楽しそうだな」

と。

ツイステ然り私はこういう「夢女子も腐女子も“女子”なら誰でもウェルカム!」というような女性向けキャラゲーが苦手らしい。

うたプリはまあハマったのは昔だし、それになによりジャンルが乙女ゲームだ。

今は知らないけど昔はほとんど夢女子しかいなかった。夢女子でなくともキャラが好きなだけだったりで腐女子はまあそう大して多くなかったから、そのイメージがついているのでうたプリは今現在でも安心作品だ。何たって今はその界隈に属していない、作品を追ってすらもいないから、記憶は更新されないのだ。スバラシイ脳みそバンザイ。

でもツイステやまほやく?はもう断言できる。キャラゲーでしかない。

そして夢腐女子どちらもござれの。

そういう層を狙い撃ちしてきてるようなのは、自分がどの立場に立っても批判が飛んできたり許されない感覚がしたりと色々地獄な気持ちになるからだ。

平和な世界なんて無いことを否が応でも気付かされる。

なので私は大概のものジャンルに足を突っ込まずただpixivでフォローしてた人間が新しく描き始めたからそれを追ってるだけだったり、それで良さそうだったらそのCPだけ検索をかけたりなどして満足している。

あと普通に公式というものがある中で勝手に妄想するのはなんだか申し訳ない気持ちになったりするからっていうのもある。

だから自分の好きなものを詰め込み、このカップルになるためだけに生まれてきた、そんなようなキャラクターだけが安全地帯なのである。


ちなみにまほやくの話を聞いて「大人しく何も知らないままこの二人でカップリング妄想しとくわ…」とすごすごと背中を丸めて落胆したら友人に普通に「そんな事本当にしたら『私そんなことできる人と友だちになってるの?』になるよ」と笑われた。

ので、私も笑った。平和だな。

こんな笑う自分も嫌いだった。


それにしてもFGOのシナリオって結局知らないけど簡潔に誰かまとめてくれん?




一日発泡酒を浴びるほど飲むようなアル中になったが、ようやく労働者という名前も貰えるようになったので、アル中改善をしていかなきゃいけない。