カナダドライ産のメイプルシロップ

暇だから近況でも報告しようと思う。



バイトを一ヶ月で辞めた。
発達障害の疑いがありテストを受けた。
摂食障害になりかけている。
特に何も無い。
何もかもに興味が無い。


以上だ。

驚くことに私は“SNS離れ”をしている。
一生抜け出せない沼なのかと思っていたが、そうでもなかった。
本当に何もしていないのでここ最近は
・食べる
・運動する
・日記を書く
・立ちながら呆けている
のどれかだ。
割合的には食べる5割呆けている4割残り、といった具合だ。

なぜ立ってるかって、立ち仕事だったためそれをしている時期は食っててもありえないぐらい体重が増えなかったからだ。
しかし私は数字にはあまりこだわっていないため、あくまで“基準”としているだけ。
なので今の体重は知らない。
数字を見てしまうとそれこそ抜け出せないところまでいく気がするし、そもそも数字に何にもこだわりがないため、よく向こう見ずな行動をとる。
体重は端数切り捨て、48.6kgは48kgだし、49.8は49kgだ。
それぐらい、数字は苦手だし、脳みそに数字を入れ込む隙間も無い。

私はもう食べることにしか興味も無い。
大好きだった化粧品ももう欲しいとも思わない。
必要だなと思い商品を手に取るもしばらく持っているとどうでもよくなり戻す。
ご時世的に叩かれそー。
まあいっつも消毒しとるし、許してくれや。

痩せたいし、痩せたいので、ずっと立っているか、外に出て「立たざるを得ない状況」に身を置いている。
8時間目安に最低でも6時間。


私の人生、“私”が主人公じゃないのに、起こることは大体漫画の主人公みたいな難題ばかりだ。
病名の寿限無だけが募り、常に何かに追われて迫られて切羽詰まっている。

昔から食に対する意識だけは人一倍あった。
持病、そして親父のデブ因子、環境。
全ての因子が揃いも揃ってというような集まり方。もうそういう何か一分野に関しての揃い方をするならプリキュアや戦隊モノにでも引き抜かれて世界でも救っといてくれやとしか言えない。

昔から過食癖はあった。
始まりの時は全く泣いていなかったし、何を思っていたのか詳細は覚えてはいないけど、足りない何かを隠しては埋めて、押し込んで、見て見ぬフリすらもさせない意識させないように食べ物で誤魔化す。
そういう食べ方をしていたのは鮮明に覚えている。
現状は摂食障害に近い状態。
そんな今、当時を思い出しては泣いている。
せめてお前、泣いといてくれよ、と。
泣いておいてくれれば「限界だったんだ」とか「食は捌け口になれていたんだ」と思えるのに、泣いてないなんて、我慢していたんじゃん。
完璧な捌け口として見れてなかったってことじゃん。
…ほんと最悪だよ。
人生耐久戦。
ホンマ嫌〜!


大過食をする時、「もういいや」と思いながら食べている。
そして「何で食べちゃダメなんだろう。別に少し体重増えても平均になるだけじゃん」とも思う。
でもその度に浮かんでくる痩せていないといけない理由達。
顔が変わること。
ただでさえ赤ちゃんの手なのにこれ以上浮腫みたくない。
一口物を口に運ぶとタガが外れて食べ続けてしまう性質のこと。
これらの理由をその時々によって一位ローテしている。一番大きいのは一番最後かな。
顔が変わるのは本当に許せないしね。
もうなんなら左右されないようにある一定の目の大きさを確保するためにも、眼瞼下垂手術をやろうかなとかも考えている。でも今矯正中。ローン払い終わってからになるのかな。

正直自分が摂食になるなんて思っても見なかった。
過食癖はあれど、ストレス発散の一環、ただの癖だったはず。
摂食の友人の話を聞いていても「大変そうだなあ…」と聞いていた。
まさか自分がこんなになるとは誰も思わないよ。

まあもうどうでもいいけど今の私は
「過食するために食事制限をし続けよう」
になっている。

ちなみに大過食というのは常人の3日分を6時間で詰め込む程度である。

痩せている人間に対してみな一様に「もっと食べなよ〜!」と言う。
しかしその人間が平均や、その人間の維持しやすい適正体重になった途端に
「するよねリバウンド〜」
などとけらけら笑い飛ばそうとしてくる奴らは、なんなんだ?
何がしたいんだ?
「ただ戻った」だけじゃないか。
リバウンドっていうのはまた肥満傾向に戻ってしまう事の事を言う。いや、元から平均だった奴の事は知らんが。
兎にも角にも無理なダイエットをして痩せ型傾向を手に入れた奴が平均になる事はリバウンドとは呼ばないだろ。何でそんな失礼な事が言えるんだよ。
むしろ褒め称えるべきところだろ。
「普通に食べられるようになって良かったね」と。
当人はきっと苦労したんだぞ。
「痩せているのが私なのに」と葛藤したのかもしれないし、「別に痩せていなくたって楽しく生きれる」とか「おいしく食べたい」だとか、色々な経緯を経ているのかもしれないんだぞ。
異様に痩せに執着してた奴が平均に戻って以前より体に丸みを帯びてきても、否定しないでやってくれよ、頼むよ。
常に下を作ろうとするなよ。
常に上であろうとするなよ。




今回の日記は特に書く事も無かったので何の捻りもないただの愚痴になってしまった。
まあいいや。
どうでもいいし。



やり直せない辺鄙な人生

突然だが私の初めてされた告白について話そうと思う。



高校一年生。相手は出席番号前後の女の子A。

初日から姫カットツインテールのブッ飛ばしで学生証の写真を撮る時に担任に「お前どこ目指してんの?」と言われていた。私もそう思った。

私は工業高校デザイン科だったので、“科”の先生達は専門知識を揃えた限定的な教師が実技を教える、そして生徒と先生、先生と先生同士がみな仲が良かったのでフランクだった。

その実技担当の教師が一年時担任だったのでこんなやべえ失礼な普通科だったら訴えられるような事をサクサクと言ってのけるのは日常だった。さくさくパンダ食った事ない。


まあ一年経ったぐらいかな。いつメンもきちんと固定化されてきて、私はこんな性格。

いつだって“疎外感”を感じていた。

周りからしたら私という人間は主要人物だったらしいが、生憎私はそうとは一ミリ足りとも数グラム足りとも思えなかった。

そんな中行われた席替え。

その時テスト明けだったので席は番号順。

異様にAちゃんは席を替える事を嫌がる。

「私ちゃんの前だったらいいよ!」

ずっとその一点張り。

正直私としては一年経ってもまだ“人気者”やましてや“認知してもらえてる人”になれている感覚さえ一切無いため、「どうしてこの子は私の事を見てくれてるんだろう」と、そう思った。

私は私自身を見てもらえた事が無かったため、怖いという感情にまみれた。

本当にとにかく、言い知れない恐怖を抱いた。

「私なんかが見てもらえるはずない、そんな世界はこの世に存在しない」ってね。そんな具合にね。今でも思ってるよ。


そしてその席替えから3ヶ月後ぐらい。

私達は二年生になった。

普通科ではないためクラス替えは三年間無い。


そして私は家庭環境の良し悪しを気にし始めた。

気づいてしまった。

「私の家って、おかしいんだ」って。

そして中学の頃に発症した抑うつ状態が再発。

朝体が動かず起きられない。

それに加えてただでさえ要領の悪い私が家族全員分の家事を行い手一杯。

学校を休む事が増えたし、家事で遅刻も多々した。

学校から親父や母親に連絡がいったぐらいだ。

そんな日々が二年生になって続いていた。


この話ではお久しぶりだが主役のAちゃんから頻繁に通話が来ていた。

朝遅刻したら私が電車に乗っている間に電話をかけてきては、私は出るだけ出てAちゃんが一方的に「私ちゃん今電車だ。しゃべりなよ」とちょっと可愛く言ってくる。降りたら「ごめんごめん笑」の会話が常だった。


いつメンと歩いてる時。いつも隣にはAちゃんがいた。

私はそっと心のどこかで

「この子が私だけのものになればいいのに」

そう思った事が一度だけあった事を今でも鮮明に、ずっと覚えている。

その時「だめだ、この感情は多分、恋愛じゃない。ただの独占欲だ」とそう自戒しながら。

でも、手とか繋いだり、肩並べたりとかしたいなあと思った記憶もある。

自戒と理想空想を頭の中に交互に浮かべながら。



そしてそんな遅刻魔休み魔を極めかけた5月終わり頃。

「Aちゃんが最近恋で悩んでいる」

そういう噂がいつメン内で流れていた。

そうかあ…あの子がこのクラスのダンシィに…よほどいい男なんだろうなと、まあ私から見たらこのクラスの男子なんて絵に描いたようなオタクしかいなかったために誰も魅力的ではなかったため、要領の良い出来の良いAちゃんを惚れさせたんだ、よほど男前感をAちゃんに不意に見せたにちげえねえ。そう思っていて、ちょっと悔しいなとも思った。


そしていつも通り私が学校を休んで通話をしている時。

Aちゃんの好きな人の話になった。

何でかは覚えてないけど、なった。

そして私がえー誰誰ー?!と次々に名前を挙げていってというお決まりの流れになっていた。

内心私はくぅー!惚れられた男が羨ましいぜ!という多分別に恋愛感情ではないよくある人間に対する嫉妬心、みたいなやつがあった。

まあ、誰かの才能に嫉妬するみたいな。そういう人間的な嫉妬。男女とか関係無いやつ。


じゃあ何文字かだけ!とか苗字は何文字?!とか、そういうキャッキャして楽しむアレになっていた。

まあ、相手は本気で悩んでいたらしいのでキャッキャはしてなかった。私だけだったらしい。


すると突然「えー…言っちゃおうかなあ」「言っちゃっても良いのかなあ…」とごにょごにょしだしたので「あ、これ本気だ」と思った。

こんなに毎日話している子が告白を受け入れてもらえた時、私はどこにいるんだろう。

そんな不安が過ぎった。

とは言いつつも、私も「言っちゃいなよー」などとちょっと茶化しながら言った。

こんなに短い文にまとまってるけどこの通話、ここまでで2時間やってます。


そしてまあそんなに間髪いれずに

「私ちゃん」


最初、本当にマジで名前を呼ばれただけかと思ったので、「え、なになにだれだれ?」と返事をした。

「だから」とか接続語も何も言わずにもう一度「私ちゃん」と言ってきたので、

「…?え?」

としか言えなかったのを覚えている。

彼女は声優養成所の審査を通り後は通うだけの状況だったが親に止められ泣く泣く断念した可愛らしいアニメ声でか細く、私の名前を二度言った。

言われた後「何文字だったっけ」「あ、私の名前文字数合ってる」「え、でも、女である事は視野に入れてはいたけどあの子じゃないの」「ん???いや、マジで名前呼ばれただけだったら?自惚れちゃダメ」

ばっかり秒単位で考えてた。

一番は「マジで呼ばれただけ説」を必死に考えてた。


そしてそれを考えてる間、さらに2時間経ってた。二人とも無言だった。

なんなら考えてるなんて言ったけど途中で思考放棄してネットサーフィンしてた。ネサフネサフゥ〜↑↑


そして親が帰ってきたので私は話を切り出した。

「…マジで?」

「…マジ」

「えーっとね、うーんとね、わたしもね、Aちゃんの一番になれないかなーとは、思ってたよ」

「…え、それって、OKってこと?」

「なのかな…?」

ひっじょーに曖昧に終わらせた。

そして切り出された話。

「でも私ちゃんってZのこと好きなんじゃないの?」

おいおいすげえな。

説明しよう。


Zとは、メンタルヘルス仲間で一年後半から私といるようになり私の抱き心地が良いらしくずっと抱きついてくる女子のことであーる。r。


びっくりした。

BL漫画で幼馴染みが最近他の男のクラスメイトと仲良くしていて告白する時に「でもお前アイツの事好きなんじゃねえのかよ…!」って言うアレだ、同性を好きになる事は今はまだ滅多に無いマイノリティである事を忘れているアレだ、BL漫画で学んだテストに出るやつだ、になった。わざわざ人生という課程で腐女子履修登録して得た知識だった。


「いや、Zはただの話の合う友達だよ〜」

即答できました。

「そうなんだ…それならいいけど」

それ以外ねえよ。



なーんて思いながら。

私はここから醜態ばかりを晒していく事になるのでした。




お付き合い?を始めてから一年間。

Aちゃんはたくさん私と一緒にいようとしてくれました。

でも、彼女も彼女の家庭は大変で、親子喧嘩なんて可愛らしいものではなく互いが互いを憎み合う母子の家庭。

中学時代は親友の家に毎晩泊まっていたそうな。

私も私で中学時代から崩壊し始めた家庭が高二で更に崩れていき、精神的、人格的に狂い始めました。

少し話は逸れますが、ここからの話でのキーになってくるお話。

私は中学時代家庭環境の悪い子に寄り添って寄り添って寄り添い続けました。

朝五時にお宅訪問して話を聞きに行ったり、わざわざ帰り道も変えてその子の帰宅を見届けたり。

みなさん、メサイアコンプレックスとは、ご存知でしょうか?

よくTwitterでは「メサコンは引っ込んでろ」なんて言われています。

いいですか、本物のメサイアコンプレックスは、Twitterクソリプほど、生易しいものじゃないです。 

酷ければ他人の人生を狂わせます。

私も加害者の、一人です。


メサイアコンプレックスとは、他人に優しくする事で自分が肯定されている感覚になれる人間のことを言います。

言葉だけでは簡単です。

でもこの心理の裏には嫉妬や自己否定、恐怖心、空虚…様々あります。

私の場合は、ACのケアテイカー、プラケーターの部類に入ります。

要するに、「親(まあその人の中で優位的な人物)に寄り添ってきた人間」がなりやすいものです。

メサイアコンプレックスの人間はみな

「寄り添わないと自分じゃない」

わけです。

中学時代、「世界を救えるのは私だけ」「安倍の顔見ると人間が汚く感じる」「世界を救うために人間を皆殺しすればいい」「動物だけの世界になればきっと世界は美しく、救われる」「私がやってあげるからね、みんな!」

などとトチ狂った事ばかりを考えていました。

そして、寄り添って“あげた”人間はみな時間を無駄にしたと後悔をしてもいいほどに、私に狂わされていました。


Aちゃんも、その一人でした。


弱い弱いAちゃん。いつも強気なのに初めて本音や弱音を見せてくれました。寄り添ってあげられるのは、心の底から心配してあげられるのは、私しかいない。

泣きました。私が泣いたらAちゃんも泣いちゃいました。

ふと顔を上げると正面の鏡に自分の顔が映りました。


全然悲しそうじゃないのです。

鏡を見るとスッと冷めた表情に変わるんです。

わんわん泣いているAちゃんの背中を真顔でさすっている自分が見えました。

素直に、「誰なんだろう」と思いました。


Aちゃんとの関係は、ここから崩れていきます。


もちろんこんな事をされれば人というものは寄りかかってしまうものです。

だって弱さを受け入れてくれたんだから。

メサイアコンプレックスはそこまで全て想定済みです。

自分も自信が無いため相手がどんな言葉を欲しているのかも大体見当がつくのです。

なのでメサイアコンプレックス

”相手が一方的にこちら側に寄りかかってくる所“

まで大体全て想定済みで、大体掌の上で転がされてると思ってください。


さてそんなクソリプ以上にクソみてえな行動をするメサコンさんですが、そこから以上のことは手に負えません。


今の状況は、相手から一方的に“唯一の頼れる存在”として見られている、そんな感じ。

でもどうでしょう。メサコン氏の中にも、愛情というものは存在してはいないのです。

なので頼られたからと言って頼るわけじゃないし、あくまでギブアンドテイク精神、「私はこんなに与えたのに何であなたはくれないの?!」「もっと私のことも気にかけてよ!」

内々で沸々と怒りが湧いてくるんです。

そしてその怒りによりクロッキー帳一冊が散り、BL漫画一冊が破れ、携帯も壊れます。


そして、その子との関係が、死ぬのです。 



もう想像、ついたかと思います。

ここまでにしておきます。

とっても優しくて出来る子だったのになぜか私なんかを好きになってしまって二年ほど充実出来なかった時間を作らせてしまった事、本当に後悔ばかりしています。

ごめんね。

今でも「あの時に戻れたら上手くやれるのに」と後悔する時がチラホラあります。


本当にごめんね。

多分、人生で一番、好きでした。

ちょっと盛ったかも。

ちなみに今はもう私がブロック削除したのでこの子とは疎遠だ。



今はメサコン落ち着きつつあるので、安心してね。

情けは人の為ならず一日にしてならず

私は、「あなたはあなたなんだよ」という言葉が、嫌いだ。

私は自分が嫌いで、外を歩く時も“今やりたいと思った事”と真逆の事をしたり、“本来の自分なら嫌がる行動”を積極的に無視して問答無用でそれをしたりして“自分”を意識しないように行動している。

例えば電車の中での音ゲーや脚を組んだり、なんて“自分”からしたらマナー違反ルール違反のみっともない人間だ。

しかしそんな事はどうでもいい。

私は音ゲーだってするし脚だって組む。

健常者はこんな風なのだろうかと心配になるが、そんな考えも結局は“自分”だ。

いらない。

だから見捨てる。

だが慰められる時

「あなたはあなたにしかなれないんだよ」

と言われる。

深い深い奈落の絶望を感じる。

“私”って何を思っても結局全部”私“にしかならないんだ。


苦痛。

苦痛、苦痛。


全部どうでもいい。

そう思おう。

そう思うと”自分“は消え、他人になれる気がするからだ。


友人や誰か他人と会うと嫌と言うほど”自分“が出てくる。

会話をすると”いつもの私“に嫌でもならなきゃいけない。

いや、自然とそうなっているから、自業自得なのだけれど。

笑う。喋る。身振り手振りをする。歩く。周囲を見回す。

そして気付かされる。

「今ここに立っているのは紛れもない劣等感の塊の”自分“」。

周りの目を気にする自分。

隣にいる人間との差を感じる自分。

結局私にしかなれない自分。

全てが呼び戻される。


そうして誰かと会った後、向こう数日間は気丈に振る舞う今の”他人として生きる自分“ではなく“何に関してもテンパる自分”が出てきて、上手く話せなくなったり、話が飛んだり上手く言葉が紡げなかったり。


正直もううんざりだ。


もう自分なんて本当にいらない。消えればいいのに。

そう願いながら毎日を過ごしている。




先日、友人が連れて行ってくれた魔法使いの約束のポップアップショップで、まあこのグループ?いいじゃーん!って言ったら「ほとんど関わり無い」などと雷を落とされた。

だってどう見てもこの一枚絵ではBLじゃん、だってエスコートしてるよ?こっちの二人!と言いたくなる絵。

そして思った。

「こういうのにハマれるのってすごく楽しそうだな」

と。

ツイステ然り私はこういう「夢女子も腐女子も“女子”なら誰でもウェルカム!」というような女性向けキャラゲーが苦手らしい。

うたプリはまあハマったのは昔だし、それになによりジャンルが乙女ゲームだ。

今は知らないけど昔はほとんど夢女子しかいなかった。夢女子でなくともキャラが好きなだけだったりで腐女子はまあそう大して多くなかったから、そのイメージがついているのでうたプリは今現在でも安心作品だ。何たって今はその界隈に属していない、作品を追ってすらもいないから、記憶は更新されないのだ。スバラシイ脳みそバンザイ。

でもツイステやまほやく?はもう断言できる。キャラゲーでしかない。

そして夢腐女子どちらもござれの。

そういう層を狙い撃ちしてきてるようなのは、自分がどの立場に立っても批判が飛んできたり許されない感覚がしたりと色々地獄な気持ちになるからだ。

平和な世界なんて無いことを否が応でも気付かされる。

なので私は大概のものジャンルに足を突っ込まずただpixivでフォローしてた人間が新しく描き始めたからそれを追ってるだけだったり、それで良さそうだったらそのCPだけ検索をかけたりなどして満足している。

あと普通に公式というものがある中で勝手に妄想するのはなんだか申し訳ない気持ちになったりするからっていうのもある。

だから自分の好きなものを詰め込み、このカップルになるためだけに生まれてきた、そんなようなキャラクターだけが安全地帯なのである。


ちなみにまほやくの話を聞いて「大人しく何も知らないままこの二人でカップリング妄想しとくわ…」とすごすごと背中を丸めて落胆したら友人に普通に「そんな事本当にしたら『私そんなことできる人と友だちになってるの?』になるよ」と笑われた。

ので、私も笑った。平和だな。

こんな笑う自分も嫌いだった。


それにしてもFGOのシナリオって結局知らないけど簡潔に誰かまとめてくれん?




一日発泡酒を浴びるほど飲むようなアル中になったが、ようやく労働者という名前も貰えるようになったので、アル中改善をしていかなきゃいけない。



サザンドラに焦点を

久しぶりである。





最近は、寂しいし他人がほしいけど多分もう二度と他人の事を受け入れる事はできないのだと思い始めた。


寛解の様子は人それぞれだ。

みな「症状は100人いれば100通り」と言う。

それは間違っていないと思う。

でも寛解、いやもっと広義的に言うと「自己肯定感の上げ方」や、「生きやすくなるためには」系の言葉は全て一緒だったりする。

みんな型にはめようとしてくる。

自己肯定感が上がる=生きやすい

生きやすい=自分の人生を歩む

そんな等式を学校の授業のように黒板の文字を板書させるように教えてくる。


正直私は違うと思う。

生きやすさこそ人それぞれだと。


多分私の場合は他者と一線引いた上で関わるという行為を続け生きていく。

多分それが私にとっての生きやすいだと思う。

無理に自尊心を育てなくていい。

今のこの孤独感も多分ほぼほぼ永久的だ。

だからこの現状常に感じるどうしようもない孤独感を、どう“波”にするかがキーだと思う。

どう「いまそういう時期なの〜」と言えるようにするか。

根底には疎外感や孤独感がある。でも、普通に笑顔が繕えて、他者との関わりを柔軟に、スムーズに進めていく事に対して受け入れる。

でも時々本当に一人に苦しくなる時期がある。

そんな人生。


私は多分これからワイワイアカウントを作らないと思う。

作ったとしてもすぐアカウントを消すを繰り返す。

こうやって他者を拒絶するのが“自分”なのだとどう受け入れていくか。


多分私はもう他人を自分の領域に招き入れる事は無い。




いつの日からか“理想の家庭像”を追わなくなった。

そうだな、ここ最近かもしれない。

「私の話を聞いてくれる人なんて誰もいない」「話すだけムダ」「じゃあもう一人で抱えて生きていこう」

そう思い始めたからかもしれない。

昔はもう来る事は天地がひっくり返っても無いと分かっていても「いつか平和な家庭がまた再構築される」などと心のどこかで追っていて、苦しかった。

その理想の家庭像とは、いつも安全で、心の拠り所になり、時には忠告やアドバイスがもらえたり、時には喧嘩もして言い合いもする、だけど仲直りが確約されていたり、みんなが自分の味方になってくれたり、お母さんが私の満足する言葉をかけてくれたり。

そんな家庭が私にとっての標準で、みんなが持っている家庭なんだ。

そう思っていた。

自分のエゴまみれだね。

でももうそれも追わなくなり、今はただただ「この冷たい人間達とどう関わっていくか」としか考えていない。

正直な話、もう“家族”じゃなくて“他人”になっている。

常に思っていた。

「家庭というのは社会の縮図」だと。

でもどこかで納得がいっていなかった。認めたくなかった。

でも、やっぱりそうでした。

なのでもう私の中に家庭という環境は無く、普通の他人より少し深い関係の、他人。

そんな具合だ。

私と母親の関係性も親友以上恋人未満の”何か“だと思う。

親だけど、親じゃない。家族だけど、家族じゃない。友人でもない。

何か、と表現をしたのは本当に得体の知れない関係性だからだ。

それは、名前もつけられないような、曖昧だけど結びつきの強い何か。

そういう事である。

でも、この他人の中の誰か一人が死んだら、私は絶対に泣くだろう。

他人だけどそれ相応の思い出たちがあるからだ。

色々な知識を教えてもらったし笑い合った思い出もきちんとあるので。







最近はもう、自分一人でどう苦しみを消化していく術を持つかしか考えていない。






ガン飛ばしマシン

母親と一週間ぶりに話した。

張り詰めていた糸が緩んだ。

母親と話して「落ち着く」なんて感覚を持ったのは何年ぶりだろうか。

十年以上ぶりだ。






「他人になりたい」の話を続けたい。

今私は「声優になったら今私が見ているようなみんなとワイワイ仲良く且つ自分を個性と認められる人間になれる」だとか、「あの人の絵が描ければあの人のような自信を持ちあの人のように苦悩を抱えつつも人生がより良いものに感じられるんだ」などと思っている。

何も生まれないな、この考え。

素直にそう思った。


この前「他人軸に生きる事を別に否定しなくてもいい」と言われた。

分かった。そうしよう。

でも思った。

「あれ?他人軸に生きる事にしても結局“自分”がなきゃダメじゃね?」

と。


要するに、「自分を認めるのは大前提すぎて話題にすら出すことじゃない」。

そういうことなのだろう。




父親に今の私の苦痛というか現状をお触り程度に話してみた。

最近気づいたのだが、イヤホンをして寝ると入眠がラクな事に。

ただイヤホンをして寝るのにはかなりの代償を払わなきゃいけない。

粘性になる事、耳の中が蒸れてかゆすぎる事、かゆすぎるのでステロイドを塗ろうとする事、ステロイドを耳の中に塗りすぎるのは危ない事。

そういった事実を父親に話すと、まあヘッドホンにすりゃいいじゃんと言われる。

まあ、妥当だし、正直私もそうしたい。

でも金などの現実問題にうるさい父親の前で「何も考えてない自分」を出すのは悪なので、「でもお金もったいないよねー」渋ってみた。

そこが悪かった。


私は最近YouTubeの「人の声」が苦痛だ。

どうして私よりも格上で、人生上手くいっている奴らの楽しそうな、しかも仲間内で楽しんでいるだけのような声や話を聞かにゃならんのだ。

そう思うと許せない、悲しい、つらい、やめて、見たくない。等の感情に苛まれ、とてもじゃないが、やってられない。

だが渋ってしまったせいで父親は「YouTubeで他の類のものを探してスピーカー(垂れ流し)にすればいい」と言われた。

やっちまったぜ。

YouTubeはもう開きたくない」

「あっそ」


父親からすれば、私はただの「めんどくさい奴」程度でしかない。

苦痛というのはどれだけ自分が苦しくて苦しくて仕方が無くても自分よりも上の人間に話そうとすると矛盾を突かれたり、整合性がとれなかったりする。

余計に自分が嫌になる。そういうものだ。

だから話さない方が良いよねってなるね。

多分父親のような、いや全ての人間が私の行動を「逃げてるだけ」と表現するようなものだと思う。分かる。I‘m sure.






うたプリがエイプリルフールのネタをマジにしやがった。

化粧品。

うたプリ好きと化粧品オタクの掛け算はマジでやめてくれ。カオスになってしまう。

オタク大好きカオス理論もびっくりだ。

アイシャドウ三色で3300YEN.

いやたっっっっっが!!!!普通に文字が濁るぐらい声に出してしまった。

3300円て…NARSの私の好きなシリーズ買えるんとちゃうか…

ちゃんとデパコスのリッポを凌駕してくるような出来なんだろうな?

チミ達の言う「メタモルフォーゼ」が韓国プチプラよりも出来るようなレベルなんだろうな?

アタシの自転車がバイクにメタモルフォーゼした(盗まれただけ)って大爆笑してた友人をあっと驚かせられるんだろうな?


ちなみにここまで(笑)付きなので別に期待も何もしていません。ただキャラクターブランドです。多分かったくて筆にも色が乗らないようなものです。


いや足元見過ぎ。






化粧をしながら寿嶺二√をやっていていつもいつも「カッコイイーーーー!!!!」と叫びながら口に色のっけてます。どうも、恋愛対象は女性です。




そういえば次のうたプリって恋愛「シミュレーション」らしいよ。

もう一回最初っから美風藍やるとかやめてよ?

こっちはシミュレーションとアドベンチャーがどう違うのかどんだけ調べても分かんなかったんだから。頼むからいい意味で裏切ってくれよブロッコリー








悲しみの輪舞

最近更新を怠っていた。

なぜか。

別に寂しさが消えたわけじゃない。ずっと誰かがほしかった。

ただ書く気力もネタもなかった。

とにかくネタがなかった。

とりあえず今持っているネタは

コンビニの前で姉とタバコを吸いながら駄弁っていた時、首の左の方に何かさわさわ、と何かの感触があった。1秒足らずで「あ、虫だこれ」と気付いたので、右手の小指と薬指の手の甲の方でパシーンとはらった。

緑色の昔の盾のような形をしていた。

一瞬で察した。

カメムシだ」

そう気付いた瞬間に臭いがきた。

「うわもうマジで最悪!!」と姉と一緒に叫んでいた。今の今まで超小声で喋っていたのにいきなり大声を出すお隣のクソ女達。タバコを吸っていたおじさんは必死に笑いをこらえていた。

カメムシの臭いは油+石鹸で取れるらしい。

やってみたらマジでとれた。

オリーブオイルかサラダ油のどちらかが良いらしい。私はオリーブオイルを使った。そして石鹸ではなく食器用洗剤を。

ただオリーブオイルは取り切る過程でカメの臭いを助長させるので気を付けて。

幼稚園時代、興味本位で触ったカメムシの臭いはゴシゴシ風呂や手洗いうがいの時に何度洗ってもそれ以外の時間を使っても3日間ほど取れなかった。

私の貴重な幼稚園時代3日間を返してくれ。

3日間カメムシの女になっていたぞ。

カメムシなりのマーキングか?私はカメムシに好かれてしまっていて、もう嫁いでいる状態になっているのだろうか。それならそれでアリっちゃアリ。

インテルネッツ時代、万歳。

まあ、この出来事がおじさんにとってのおもしろネタになれていたなら、幸いです。




このように本当に書くことが無い。




美風藍√を5周した。




最近、過食衝動を抑えるためにサプリメントを飲み始めた。63%の中に入れたらと、希望も「どうせ」も何も持たずに何も考えずにただひたすらに一日一錠飲んで過ごす。

こういうのはプラセボでも何でも良いから効いたほうがいい。実感が無いのが一番ダメなのだ。昔の私であれば「どうせ効かない」で全てをシャットアウトしていたと思う。でも気付いた。こういうのはテキトーに何も考えず先入観も何もかもを捨てて飲んだ方がいいと。

別に効いても効かなくてもそうした方が後が楽なのだと。

「まあ自分は効かなかったんだな」それだけで済む。なんてサイコーな人生。




私はありえないぐらいのハピエン厨だ。

とにかく不穏が嫌い。

虐待を物語の“道具”に使わないでほしいとも思ってしまうほど。

私のキャラクターは全て理想を詰め込んである。

受けは劣ってはおらず、何も不自由ない家庭で、なんだかんだハイスペック。理解力もあり、しっかりしていて、自立していたり冷静沈着であったり。

攻めは攻めらしく包容力がバリバリで、受けよりも大体背が高く、ちゃんと受けを可愛がる面を見せるような。

そんな全ての理想を詰め込んでいる。


私は別にプロを目指しているわけじゃない。

あくまで個人で、趣味の範囲内で楽しもうとしている。そうした方が周りの目を気にしなくて済む。そう思っているからだ。

漫画家やイラストレーターなんてなろうもんならクライアントだけじゃなく世間の目を気にしなきゃいけない。そんなのは私には向いていない。

でも最近、「寂しい」が派生し、死んだと思っていた承認欲求がまたむくむくとうごめき始めた。

調子に乗ってペクセボに上げ始めてからだ。

やはり私は承認欲求からは逃げられないのかもしれない。

でもこの“逃げ”の時期に必死こいて絵をイチから学んだりを積んだって空回って結局「上手くならねえじゃん!!」と打ちひしがれて自分の才能の無さを嘆くだけ。そんなのはやめだやめやめ。

かと言って「そんな考え方はまやかしだ」と薄っぺらい何の根拠もない考えで今の自分の苦痛をねじ伏せようとしたってムダなわけだ。それこそ自分が伸びない一原因になりかねない。

なので私は今とにかくまた逃げる事にする。

人生に逃げ場は無いが、趣味の範囲内でなら良い意味でどこまででも逃げられるので。




診断書に「閉居」と書かれ続けている話はしただろうか。

私は逃げる事に関しては徹底してしまう人間なので、外に出た時の人目も音も全てから逃げてまさに、「閉居」している。

他人にとって自分が他人になれている事がとてもじゃないが、信じられない。

たとえば待ち合わせをしていたとしよう。

友人が陰から顔を出して「お、来たー」と私が思う。当たり前だ。

これが逆の立場だとどうだろうか。

友人が私を待っている。私が壁から顔を出した。

友人からしたら私がさっき感じた「お、来た」なのだ。

私が誰かにとっての「他人」になれている事が、死ぬほど信じられないのだ。


昔から私は「他人になりたい」と言い続けている。

母親や世間は同調「圧力」が大嫌いだと喚いている。


私は逆に「みんなになりたい」ので、同調万歳なのだ。「圧力」という感覚が全く分からない。

言いたい事は全部理解している。自分の人生を指し図されて生きてきたらそうなるに違いないと思う。そうしてそれが染み付いてその考えから逃げきれずに、勝手に頭の中で「みんながこう言うから」とずっと同調しようとしてしまう。なんとなくそんな感じなんだろうな、とは思う。そうして自分を見失っていってしまっているんだと思う。


でも私は逆に好きなことをしようとしたら否定されてきたので、どうにかこうにかして自分を殺さなきゃいけないなと思っている。

自分が好きだと思うものは全て間違っていて、「みんな」が正しいのだと思う。

「みんな」がそれをやっていたら正しいかもしれない、許されるかもしれない。でも私がやったら一発不合格。「お前はそれじゃない」という判子をドーンと押されるだけ。

それだったら「私」はいらない。

「みんな」になれればいい。それでいい。

だから私はお人形さんになりたい。

みんなになれれば誰も叩いてはこない。

サイコーだな。


あー誰か私を他人にしてくんねえかな。




と、ここまで気色の悪い話ばっかりしてみた。

頭の悪い人間でごめんね。




憤怒をふんどとふんぬ派に分かれるの、気持ち悪いからやめてくんないかな。

ちなみに私はふんぬ派




人はいつから空になるか

私は誰もフォローしないたった一人だけの公開愚痴アカウントをよく作っては消している。

鍵アカもあるが、それは置いておく。

そういうアカウントをやっていると百発百中で“男”がいきなりリプライやDMを送ってくる。

“女”で“仄暗い”。いわゆる”メンヘラ“。

そういう匂いを嗅ぎつけると男がやってくる。

しかし私は顔なんて一切上げていない。

ブスだから上げる顔も無いわけだ。

それを他人に言うと「いやそういう奴は顔なんて関係ねえんだよ」とみな口を揃えて言う。

しかし私は思う。

「いや最低限の顔は必要で、結局そういう時に顔で萎えるんだったらどちらも幸せにはならねえじゃねえか」

と。

こちらも傷つくし、相手も結局萎えて不快な思いになり終わる。

正直バカなんじゃねえのかと思う。

お前にとってリスクが大きすぎるだろ。

そして別にお前の言葉でなびかねえよこちとら。

既婚者にガチ恋されたけど寿司だけ頂戴して終わった。緊張で何も食べられなかった。やっぱり自分の金で自分の好きなだけたらふく食う飯のがうめえよ。

てか会うな




オタクはよく好きなカップリングを見るとその場にある物になりたいと言う。

私はそれがいまいち分からなかった。

でも最近ようやく気づいた。

私は「私としてオマエらを観察してえんだ」

だった。

壁になんぞなる気はないし、ベッドになんてなる気はない。

控えめでいろ?そんな事知るか。

私は私として観察しないと意味がないだろうが。

二次元の世界に生まれててもオレらはどうせそこら辺のモブ論も気に食わない。

これに関しては私は主人公格をもぎ取るんだよ、じゃなく、その「謙虚」「控えめ」、なにより「諦め」の姿勢が気に食わない。

要するに、「何も考えない」が私の中では最適解だ。





今の髪型でサイドを前に持ってくると、米津玄師になれる。

もっと分類すると「モノズケンシ」になれる。

ちゃっかりきっかりポケモンネタだ。

この単語はいつの日かゆっくり動画で得たどうでもいいあだ名知識でしかない。

モノズくんには将来作曲に絵に色々頑張ってもらわねば、そういう意図も含めているのかもしれない。絶対違うけど。




昔の有名ボカロPは今大概別名義を作り正式に作曲家として活動している。

私はそれが物凄く違和感、悲しさ、寂しさ、ムカつきを感じてしまう。

なぜムカつくか、それは「前に進んでいる」からだ。

人は前へ進む。

それを他人がやっていると自分の遅れのとり方から見て僻み、妬み、羨む。

それらを総括してムカつきになる。

自己関連づけが本当に強い事が分かっちゃうね。はじかちー。







一進一退なんて言葉、時間がある奴にしか使えない。だから簡単に言うなよな。

ちゃんちゃん。