悲しみの輪舞

最近更新を怠っていた。

なぜか。

別に寂しさが消えたわけじゃない。ずっと誰かがほしかった。

ただ書く気力もネタもなかった。

とにかくネタがなかった。

とりあえず今持っているネタは

コンビニの前で姉とタバコを吸いながら駄弁っていた時、首の左の方に何かさわさわ、と何かの感触があった。1秒足らずで「あ、虫だこれ」と気付いたので、右手の小指と薬指の手の甲の方でパシーンとはらった。

緑色の昔の盾のような形をしていた。

一瞬で察した。

カメムシだ」

そう気付いた瞬間に臭いがきた。

「うわもうマジで最悪!!」と姉と一緒に叫んでいた。今の今まで超小声で喋っていたのにいきなり大声を出すお隣のクソ女達。タバコを吸っていたおじさんは必死に笑いをこらえていた。

カメムシの臭いは油+石鹸で取れるらしい。

やってみたらマジでとれた。

オリーブオイルかサラダ油のどちらかが良いらしい。私はオリーブオイルを使った。そして石鹸ではなく食器用洗剤を。

ただオリーブオイルは取り切る過程でカメの臭いを助長させるので気を付けて。

幼稚園時代、興味本位で触ったカメムシの臭いはゴシゴシ風呂や手洗いうがいの時に何度洗ってもそれ以外の時間を使っても3日間ほど取れなかった。

私の貴重な幼稚園時代3日間を返してくれ。

3日間カメムシの女になっていたぞ。

カメムシなりのマーキングか?私はカメムシに好かれてしまっていて、もう嫁いでいる状態になっているのだろうか。それならそれでアリっちゃアリ。

インテルネッツ時代、万歳。

まあ、この出来事がおじさんにとってのおもしろネタになれていたなら、幸いです。




このように本当に書くことが無い。




美風藍√を5周した。




最近、過食衝動を抑えるためにサプリメントを飲み始めた。63%の中に入れたらと、希望も「どうせ」も何も持たずに何も考えずにただひたすらに一日一錠飲んで過ごす。

こういうのはプラセボでも何でも良いから効いたほうがいい。実感が無いのが一番ダメなのだ。昔の私であれば「どうせ効かない」で全てをシャットアウトしていたと思う。でも気付いた。こういうのはテキトーに何も考えず先入観も何もかもを捨てて飲んだ方がいいと。

別に効いても効かなくてもそうした方が後が楽なのだと。

「まあ自分は効かなかったんだな」それだけで済む。なんてサイコーな人生。




私はありえないぐらいのハピエン厨だ。

とにかく不穏が嫌い。

虐待を物語の“道具”に使わないでほしいとも思ってしまうほど。

私のキャラクターは全て理想を詰め込んである。

受けは劣ってはおらず、何も不自由ない家庭で、なんだかんだハイスペック。理解力もあり、しっかりしていて、自立していたり冷静沈着であったり。

攻めは攻めらしく包容力がバリバリで、受けよりも大体背が高く、ちゃんと受けを可愛がる面を見せるような。

そんな全ての理想を詰め込んでいる。


私は別にプロを目指しているわけじゃない。

あくまで個人で、趣味の範囲内で楽しもうとしている。そうした方が周りの目を気にしなくて済む。そう思っているからだ。

漫画家やイラストレーターなんてなろうもんならクライアントだけじゃなく世間の目を気にしなきゃいけない。そんなのは私には向いていない。

でも最近、「寂しい」が派生し、死んだと思っていた承認欲求がまたむくむくとうごめき始めた。

調子に乗ってペクセボに上げ始めてからだ。

やはり私は承認欲求からは逃げられないのかもしれない。

でもこの“逃げ”の時期に必死こいて絵をイチから学んだりを積んだって空回って結局「上手くならねえじゃん!!」と打ちひしがれて自分の才能の無さを嘆くだけ。そんなのはやめだやめやめ。

かと言って「そんな考え方はまやかしだ」と薄っぺらい何の根拠もない考えで今の自分の苦痛をねじ伏せようとしたってムダなわけだ。それこそ自分が伸びない一原因になりかねない。

なので私は今とにかくまた逃げる事にする。

人生に逃げ場は無いが、趣味の範囲内でなら良い意味でどこまででも逃げられるので。




診断書に「閉居」と書かれ続けている話はしただろうか。

私は逃げる事に関しては徹底してしまう人間なので、外に出た時の人目も音も全てから逃げてまさに、「閉居」している。

他人にとって自分が他人になれている事がとてもじゃないが、信じられない。

たとえば待ち合わせをしていたとしよう。

友人が陰から顔を出して「お、来たー」と私が思う。当たり前だ。

これが逆の立場だとどうだろうか。

友人が私を待っている。私が壁から顔を出した。

友人からしたら私がさっき感じた「お、来た」なのだ。

私が誰かにとっての「他人」になれている事が、死ぬほど信じられないのだ。


昔から私は「他人になりたい」と言い続けている。

母親や世間は同調「圧力」が大嫌いだと喚いている。


私は逆に「みんなになりたい」ので、同調万歳なのだ。「圧力」という感覚が全く分からない。

言いたい事は全部理解している。自分の人生を指し図されて生きてきたらそうなるに違いないと思う。そうしてそれが染み付いてその考えから逃げきれずに、勝手に頭の中で「みんながこう言うから」とずっと同調しようとしてしまう。なんとなくそんな感じなんだろうな、とは思う。そうして自分を見失っていってしまっているんだと思う。


でも私は逆に好きなことをしようとしたら否定されてきたので、どうにかこうにかして自分を殺さなきゃいけないなと思っている。

自分が好きだと思うものは全て間違っていて、「みんな」が正しいのだと思う。

「みんな」がそれをやっていたら正しいかもしれない、許されるかもしれない。でも私がやったら一発不合格。「お前はそれじゃない」という判子をドーンと押されるだけ。

それだったら「私」はいらない。

「みんな」になれればいい。それでいい。

だから私はお人形さんになりたい。

みんなになれれば誰も叩いてはこない。

サイコーだな。


あー誰か私を他人にしてくんねえかな。




と、ここまで気色の悪い話ばっかりしてみた。

頭の悪い人間でごめんね。




憤怒をふんどとふんぬ派に分かれるの、気持ち悪いからやめてくんないかな。

ちなみに私はふんぬ派